高校野球にオリンピック。二大不愉快イベントの背景にあるのは、幻想の“連帯”を求める大衆への、メディアの迎合だ
一筆不乱<27>
スポーツを観るのは嫌いではない。だがうんざりするときもある。「ニッポン勝った」と大騒ぎするオリンピック。「涙と感動」を強要する高校野球。なんと今年は、この二大不愉快イベントが、こともあろうに不快指数極限の猛暑の中をやってきた。
「観なければいいのに」と言われるかもしれないが、ことはそれほど単純でもない。
実はオリンピックも高校野球も、大手メディアにはタブーだ。「批判しにくい」のである。後者の取材は新聞記者時代、何度か経験した。たとえ礼儀知らずの生意気な高校生でも、「黙々とがんばる」球児に描かなくてはならない。これは同僚記者の話だが、ある年、ひとりの球児がアイドルタレント並みに騒がれた。地元では有名なツッパリで、シンナーや覚醒剤の情報もあった。だが主催者の朝日新聞(夏)、毎日新聞(春)だけではなく、どの社もスター扱いの紙面展開に終始したという。
似たような話はいくらでもある。なぜか。読者のクレームが殺到するのはもちろん、部数が減ったり、広告が入らなくなったりするからだ。
オリンピック報道も同様で、金メダル候補の批判をしようものなら大変。読者、オリンピック委員会、スポンサーなど、あらゆる方面からバッシングを受ける。そうこうしているうち、メディアの中に自己規制が働き、選手はみんな「さわやかなアスリート」になってしまう。
根底には、幻想の“連帯”を求める大衆への、メディアの迎合がある。日本や地元高校を背負い、心を一つにして勝利の栄冠を目指すーーその感動に溶け込むためには、選手はあくまでも“美しく”なければならないのだ。幻想と感じてはいても、それをこわしてほしくないという大衆心理。そこに迎合するメディア。しかも迎合をしている限り、部数や広告に悪影響はない。
困ったことに、こうした幻想は、いびつな愛国心や、報道の大政翼賛化につながりかねない。だから「たかが高校野球、たかがオリンピック」と無視するわけにもいかないのである。(北村肇)
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[8月20日??時??分更新]
引用元:週刊金曜日
〜コメント〜
どう考えても二大イベントへの八つ当たりとしか思えない記事です。迎合は確かに問題では有りますが、注視すべきは圧力の生まれる環境ではないでしょうか?
スポンサー主体や個人からのマスメディアへの抗議だけでなく、スポンサーへの抗議も行われるというならば、それは組織的なモノが働いている可能性があるからなのでは?また、スポンサーの抗議に負けるのは、マスメディア自身が拝金主義となりジャーナリズムを放棄している事であり、この上記記事を書いた北村肇氏は本当にそこを問題視しているのか疑問です。
更に、日頃は犯罪者の人権や少年非行の原因を社会の所為にしている週刊金曜日が、この記事では生意気な不良少年として高校球児を叩き、オリンピック選手の粗探しをしたくてうずうずしている様に見えます。
先にも書きましたが、迎合という点についての批判は同意できはしますが、スポーツの応援を「困ったことに、こうした幻想は、いびつな愛国心や、報道の大政翼賛化につながりかねない。」と感じてしまう彼の記憶の中には、日韓W杯の韓国やアジア杯での中国が鮮明に残っているのでしょうか。
と書いたものの、他のコラムに中国のいびつな愛国心を批判するコラムは見当たりませんでした。北村肇氏にとって、愛国心を持ってはならないのは日本だけのようです。
- 参考
- 週刊金曜日:編集委員紹介