「まだ救えなくてごめん」横田めぐみさん40歳誕生日
北朝鮮による拉致被害者の1人、横田めぐみさん(失跡当時13歳)の40回目の誕生日が5日に巡ってくる。両親の滋さん(71)と早紀江さん(68)は、8年ぶりに夫婦だけで娘の誕生日を祝う予定だ。
北朝鮮の不誠実な対応に振り回されながら、全国を行脚して被害者の救出を訴え続けてきた2人に疲労の色は濃い。
「その日だけは、めぐみと3人でゆっくり休みます」。翌日から、娘を取り戻すための闘いが再び始まる。
めぐみさんについて、北朝鮮に拉致されたという情報が初めて両親にもたらされたのは1997年1月。この年から毎年、誕生日には支援者や報道関係者が集まり、一緒に祝うようになった。しかし、今年の誕生日は取材も断り、夫婦だけで1日を過ごす。「小さなバースデーケーキだけ買って静かに祝うつもりです」と2人は言う。
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9月25、26の両日に北京で開かれた第2回日朝実務協議の席上で、北朝鮮側はめぐみさんの「入退院記録」を出してきた。
〈1981年以降、入退院を繰り返した〉
北朝鮮側の説明を家族に伝えるために外務省が作成した資料には、入退院の時期や病名が記されていた。〈歯医者に入院〉。そんな記述もあった。
「なぜ、歯医者で入院が必要なのか」。滋さんの疑問は膨らむばかりだ。
北朝鮮は今回、93年10月まで入院していたとして、「93年3月に死亡した」としてきた従来の説明を訂正した。だが、その後のめぐみさんの安否については、一切言及しなかった。
「私たちが知りたいのは、今のめぐみのことなのに」と滋さん。早紀江さんも「全く信用できない」と北朝鮮側の説明を切り捨てる一方で、「これが少しでも本当なら、一刻も早く連れて来てやらないと、助かるものも助からなくなる」と、揺れる胸の内を明かす。
今回の実務協議では、拉致直後のめぐみさんの様子も伝えられた。
〈最初は日本の中学の教科書を与えて勉強させた。6か月で朝鮮語を話せるようになり、1年で書くこともできるようになった〉
わずか13歳だった娘が異境で過ごした苦難の日々を思い、「頭がどうにかなってしまいそう」と早紀江さん。実務協議の直後には、家族たちが全幅の信頼を寄せていた中山恭子・内閣官房参与が辞任するというショックも加わった。
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「40歳になるまでには助けたいと思っていたんです。誕生日は盛大に祝ってやりたいけど、切なくて」。滋さんと早紀江さんは口をそろえる。
しかし、誕生日には、めぐみさんの写真に向かってこう語りかけることも忘れないつもりだ。「まだ救い出せなくてごめんね。早く会えるよう頑張るから」。娘をこの手に取り戻すため、また気力を振り絞る。
[ 2004年10月4日3時15分 ]
[10月04日03時15分更新]
引用元:読売新聞(info)
〜コメント〜
3日の「報道2001」に出演した安倍幹事長代理の発言で、北朝鮮の対応について制裁も含めた強気な態度で行うべきとありました。しかし、それは北朝鮮だけの事ではないと思います。
日本の常任理事国入りを反対する中国と韓国に対しても、竹島問題や対中ODAなどを外交カードとして使って行くべきです。そうする事で6ヶ国協議で北朝鮮よりの態度を改めさせるよう仕向けてこそ、外交術と言えるのではないでしょうか?
日本の代表サッカーでも良く言われていましたが、ずる賢さが足りないと思います。かと言って、むやみやたらと盗泉の水を飲んでしまっては日本人の長所が消えてしまうので、「君子は豹変す」の精神こそODAを使ってグローバルスタンダードにすべきですね。
北朝鮮の場合は金政権が続く限り、それは難しいのでしょうね。
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