石原都知事:日韓併合発言 「総意で」識者は否定
1910年の日韓併合をめぐり、石原慎太郎東京都知事が「彼ら(当時の朝鮮人)の総意で日本を選んだ」などと公の場で発言したことに、国内外で波紋が広がった。石原知事はその後も「それが正確な歴史」などと自説を繰り返したが、研究者や専門家からは批判、疑問の声が出ている。
とりわけ「総意で」という認識は、日本進出や併合に対して起きた抵抗運動の歴史にそぐわず、識者は一様に否定的だ。
また、韓国の有力紙・朝鮮日報の社説も強く反発するとともに「日本の政治家で1、2位を争う人気」の知事の発言であることを重視。「日本国民は石原知事の発言を通じて、どんなメッセージをアジアに伝えようというのか」と問いかける。
発言の問題点について識者らに聞いた。
◇津田塾大教授、高崎宗司氏(日朝関係史)
石原氏の発言の根拠はいったい何なのか。「総意で選んだ」というが、そういう史料を過去に見たことがない。
「総意」というと、国会ででも決議したように感じるが、当時の朝鮮には総意をまとめるような機構はなかった。君主専制の国であったから、併合は皇帝とその周辺の親日的な大臣で決めた話だ。だから、抗議の自殺や反対運動もあった。日本が植民地化に向けて着々と準備を進めてきた歴史こそ重視しなくてはならない。
報道によれば、朴正煕(パクチョンヒ)元大統領の発言を引いているが、元大統領は政治家であって歴史家ではない。しかも飲酒の席での発言であり、ここで持ち出すのは適当ではない。
◇花園大客員教授、姜在彦(カンジェオン)氏(朝鮮近代史)
石原氏の発言は朝鮮近代史の一面ではある。しかし、歴史は複眼的にみなくてはいけない。
朝鮮には日本の武力に対する抑止力が無かった。明治初期の征韓論から始まる日本の外圧を防ぐため清に依存し、日清戦争後はロシアに依存した。これは主権を守るための外交政策で、望んで選んだわけではない。
当然「総意」どころの話ではない。李完用総理は、条約の調印前に反対派の暗殺未遂に遭っている。併合後も民衆の強い抵抗があった。
石原氏は日本の植民地経営が欧米と比べ人道的であったと言うが、私は日本が朝鮮から主権を奪い、強制連行で人間を奪い、人の魂まで奪ったとみている。
朝鮮と日本は古くから文化交流があった。欧米とその植民地とは違う関係があったのだ。単純に比較はできない。
◇法政大教授で韓国・漢陽大客員研究員、川村湊氏(文芸批評、日韓比較民俗論)
併合されていた時代にインフラ整備などが進んだということを事実として研究する人は、韓国内にも若手を中心に出てきている。しかし、日本が整備を進めたのは、あくまで植民地を通じて豊かになろうとしたためで、朝鮮人に良かれと思ってやったわけではない。
朴正煕元大統領が石原氏に語ったのは一杯飲みながらの話で、私的な席の発言を取り上げるのはおかしい。また、朴元大統領がそう語った個人的、歴史的背景をきちんと考えなくてはいけない。元大統領は、満州軍官学校に在籍するなど、その経歴は、朝鮮人の間で例外的だ。
石原氏は朴元大統領の発言などを都合のいいように解釈して、論旨の補強に使っている。もっと言葉や表現を大事にしてほしい。
◇都立大教授、鄭大均(チョンテギュン)氏(日韓関係論)
日韓併合は日本が無理強いしたものであり、石原氏が「朝鮮人の総意」と述べたのは失言だ。ただ、今回の発言も時間がたてば忘れられてしまうだろう。日韓関係などの歴史問題では、石原氏の考え方は少数派だと思う。だから、言い過ぎて悪者のらく印を押されるという同情すべき点もあるのではないか。
植民地支配に対し、日本人の側が厳しく反省するのが結構なことであるのと同様に、韓国人の側にも共同責任の感覚が必要だと思う。
◇問題視されない日本社会のあり方に疑問 韓国各紙
韓国の新聞各紙は石原知事の発言を報じた。最初に社説を掲載したのは朝鮮日報だが、知事がその後も同趣旨の発言を繰り返したため、東亜日報が11月2日に「日本の良識はどこに行ったのか」、中央日報が3日に「石原妄言は日本の恥だ」という社説を載せた。
3紙の社説はそうした発言が大きく問題視されない日本社会のあり方に疑問を示している。石原知事について東亜日報は「隣国のことなど眼中にもないような彼のあちこちで衝突するさまは、むしろ気の毒なほどだ」と皮肉った。
朝鮮日報10月30日付の社説の要旨は次の通り。
◇
石原慎太郎東京都知事が「韓日併合は彼ら(朝鮮人)の総意で日本を選んだ。植民地主義といっても人間的だった」と再び妄言を吐いた。
我々は日本の国民に真剣に問わざるを得ない。「石原知事の妄言を日本国民の声として受け止めてもいいのか」と。彼が妄言を吐けば吐くほど人気が上昇する不思議な現象を、韓国国民は到底理解できないからだ。
彼の人気は日本の政治家の中で常に1、2位を争う。日本国民は石原知事を通じて、一体どんなメッセージをアジア諸国に伝えようというのか。過去の侵略の歴史を消し去ることによって、新たな侵略の可能性を開こうとする欲求を石原知事が代弁していると受け止めてもいいというのか。
そうでないなら、日本国民はもう「石原シンドローム」を整理しなければならない。
◇発言の骨子
石原都知事の日韓併合をめぐる10月28日と31日の発言骨子は次の通り。
▼私たちは決して武力で侵犯したんじゃない。朝鮮半島がまとまらないから、彼ら(朝鮮人)の総意で日本を選んだ
▼私は日韓併合を100%正当化するつもりはない。彼らの感情からすれば屈辱でもありましょう。しかし、どちらかといえば彼らの先祖の責任
▼日本の植民地政策について正当な評価を書いた(韓国人の)本も日本では発行された
▼独立運動はあったと思うけど、中国あるいはロシアに併合されそうになって、日本に下駄を預けた。それが正確な歴史
▼日本がやった植民地主義はまだ人道的で人間的だった
▼朴正煕(元韓国)大統領らと一杯飲みながら話した時、朴さんは「私は貧農の息子でとても学校に行けなかったが、日本が統治して義務教育になったため、親がしぶしぶ小学校に行かせてくれた。市ケ谷の士官学校では朝鮮人出身の自分が、全生徒を代表して卒業の答辞を読んだ。日本人がやったことをあんまりカドを立てて言うのはどうかな」と話された
◇日韓併合関連年表◇
1904年2月 日露戦争開戦。日韓議定書調印
8月 第1次日韓協約調印(顧問政治)
9月 親日団体「一進会」設立
05年9月 日露講和(ポーツマス)条約調印
11月 第2次日韓協約(日韓保護条約)調印。韓国が日本の保護国に。朝鮮各地で義兵が挙兵。以後、毎年続く
06年2月 朝鮮統監府設置(初代統監・伊藤博文)
3月 大韓自強会設立(愛国啓蒙<けいもう>運動)
07年6月 ハーグ密使事件(朝鮮国王高宗が、日本の支配の不当性を訴えようと万国平和会議に密使派遣)
7月 高宗退位。第3次日韓協約(次官政治)
09年9月 日本軍が義兵の「南韓大討伐作戦」
10月 伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺される
10年8月 日韓併合条約調印。朝鮮総督府設置
9月 土地調査事業本格化(〜18年)
14年7月 第1次世界大戦ぼっ発
19年3月 3・1独立運動
[11月04日23時01分更新]
引用元:毎日新聞
コメント:さて、今回の事を書きたいのですが、時間が無いので後ほど編集しなおします。帰りましたです。
それはさておき、この記事での楽しみ方は、石原知事の発言について、本当に総意だったかどうだったかと突っ込んでいる所です。確かに国民からすれば反対していた人もいるでしょうから、そのレベルで言えば総意ではありません。
しかし、この記事の後半の以下の部分
- 「石原知事の妄言を日本国民の声として受け止めてもいいのか」
石原知事の言う“総意”を否定する彼らが、この様な同じ“総意”を言っているのに、その部分には一切触れていないと言うか気付いてさえいない。
つまりは彼らも選挙などで選ばれた人間の発言や行為は、その選んだ人間だけでなく、そこに住む住民の総意で全て行われていると考えているのです。しかし、韓国の側が責任を持たなければならない状況では、一人でも反対者がいるのだから総意ではないとされるのです。
この矛盾ってそんなに難しい事ですかね?個人や連帯責任の問題は甘んじて受けるのが美徳されている日本人は、日教組などのゆとり教育や個性主義のおかげかかなり減っているとは思いますが、まだまだ「日本が軍を持たない=攻めて来る国は無い=平和」だと考える人がいるのも事実で、国連会議場でUSAをアメリカと言う様に、「北朝鮮」と略されただけで「ジャップ」と差別用語で言い返してくる変な国(※1)が近所にある以上は、なんらかの防犯対策を採るのが確実な予防です。
天津さえ当時の時代が軍拡主義、植民地拡大主義な状況で、清やロシアが日本と敵対していた時に朝鮮半島が混乱していたならば、清やロシアに占領される前に日本の仲間にして置くのが戦略としては妥当でしょう。
現在の北朝鮮も結局ロシアの力を借りて金日成が設立した国であり、韓国も未だに軍隊の最高司令部はアメリカのモノです。
今も昔も大差無い状況を打破しなければならないのに、未だに自己反省の精神を封印されているようでは、韓国政府の反日思想教育が全ての元凶である事にすら気付かないでしょうね。
かなりの主観が入って逸脱して来たので、このサイトの趣旨であるメディアに対しての意見に戻しましょうか。
で、この毎日新聞の記事ですが、読んでみてどうですか?中立だと思えますか?疑問視の多い事柄には多角的視野から意見をできるだけ多く載せるべしと、放送法でも定まれています。
全識者の意見数は4です。では韓国側に立った意見は?4ですね。偏ってますね。放送資格持ってるだけでなく、潰れかかったとは言え大企業ですよね。皆さんこれで良いんですか?
西尾幹二と言う、一部の人たちには極右だと位置付けられている人にも、意見を求めたそうですが、結局載ってませんね。代わりにその載らなかった意見を書いた方のサイトを、以下に一部抜粋も含めて紹介しておきます。
(1)韓国を代表するのが「反発する義兵」で、それを日本の軍隊が鎮圧する中で併合がなされた。(2)一進会は日本の手先のような団体である。(3)日本とロシアのどちらにつくのがいいのかという議論は外交路線をめぐる議論で、国を預ける議論ではなかった。
以上三点が鄭氏のポイントであるが、すべて当時の歴史事実と一致しない。当時の朝鮮にどのように味方する研究者でも、この国が国家の方針を自己選択できるほどにしっかりした主体性をもっていなかったことを、歴史客観的に認めざるを得ないはずである。家族集合体のような当時の朝鮮は国民国家ではまだなかった。
義兵はたしかに存在したし、抗日ゲリラ活動もあった。けれども、抗日が唯一の動機で義兵団が発生したのではない。自浄能力を失い、腐敗した特権階級に支配された当時の韓国政府への怒りがまずあった。政府軍は外敵と戦う実力も、内乱を鎮圧する力もなく、規律ある組織ですらなかった。そのため軍をいったん解散すると決めたとき、一少佐が抗議のピストル自殺をして、それがきっかけで義兵運動が起こった(名越二荒之助『日韓2000年の真実』参照)。
日本の圧力に対する反発は勿論あったと思うが、自国政府への憤りと絶望が義兵団結成の大きな動機だった。1907年から1910年末までに駐留日本軍との衝突回数は2819回を数え、参加した義兵も延べ14万人余と多いが、これに対する駐留日本軍はわずか2千数百名で、日本側の犠牲も少なかった。何千人かの大規模の義兵団が日本軍と衝突したケースはない(呉善花『韓国併合への道』参照)。
引用元:西尾幹二のインターネット日録
※1:北朝鮮:国連次席大使が「ジャップ」発言−毎日
※1:北朝鮮は「けしからん」=「ジャップ」発言に不快感−福田官房長官−ヤフー
識者を検証:高崎 宗司の場合
- 検証 日韓会談−本
識者を検証:川村 湊の場合
- 川村湊 公式HP
姜在彦・鄭大均は朝鮮人ですので、向こうの主張をするのは当然なのと反論は既にほぼ書いたのでここでは検証しません。残る二人の日本人“識者”ですが、川村湊は歴史学者ではないですよね?どちらかと言えば、民俗学は感情学ですよね?専門分野でもないのに聴く毎日も凄いですが、専門分野なのに自爆する高崎宗司はもっと凄いです。
「総意」というと、国会ででも決議したように感じるが、当時の朝鮮には総意をまとめるような機構はなかった。君主専制の国であったから、併合は皇帝とその周辺の親日的な大臣で決めた話だ。だから、抗議の自殺や反対運動もあった。日本が植民地化に向けて着々と準備を進めてきた歴史こそ重視しなくてはならない。
自爆している部分はわかりますか?そうです。君主専制の国の部分です。つまり、何の叛乱もせずにその君主が決めた事が実行されれば総意だと言えるんですよ。上記でも書きましたが、例えば私が石原知事の発言に意義を唱えていても、石原知事がこのまま任期を全うし、更に次期知事(或いは首相?)にも当選した場合は、石原知事は国民の総意の元での代弁者と彼らは位置付けるでしょう。
この私が異議を唱えているにも関わらず!(笑)ってまぁ例え話はここまでにしておきますが、私が何を言いたいのかは、西尾幹二のインターネット日録から抜粋したように、小さな反対運動では総意の否定にならないのが世界規模の常識です。
こんなサイトを運営している以上、その常識には苦湯を飲まされる思いですけどね。