中日新聞の社説
共に悲しみ、怒って
拉致被害者・家族の憤りに共感すると同じように、中国から強制連行された労働者の苦しみも正面から受け止めましょう。加害責任の清算がまだすんでいません。
第二次世界大戦中に強制連行され厳しい労働を強いられた中国人の日本政府と企業に対する賠償請求が、先月二十四日、福岡高裁で退けられました。
判決は、強制連行を国策による不法行為としながら「遅すぎる訴えだ」と、被告が時間という壁の裏に逃げ込むのを許しました。
日本社会では、それに対する広範な批判の声は聞かれませんでした。政府はもちろん、政治家もほとんどの国民も問題を司法にゆだねて「われ関せず」のように見えます。
拉致と強制連行は同質
その二日前、小泉純一郎首相が北朝鮮を訪れて拉致問題について交渉し、被害者の家族五人が帰国しました。期待された割には少なかった成果に日本にいる被害者本人や家族は落胆し、多くの国会議員、国民も共感しました。内閣支持率の上昇は予想外でしたが、「解決済み」と一時は言い張った北朝鮮側にあらためて怒りを覚えた人は多いでしょう。
「連れていかれた」と「連れてこられた」の違いこそあれ、祖国から違法に連れ出され、本人の意に反する人生を強いられた点は、拉致も強制連行も同質です。
それなのに、私たちの社会の反応は全く違います。どう理解したらいいのでしょう。
中国から連行された人は、当時十代の少年から七十歳代の老人まで約四万人です。炭鉱、鉱山、港湾などで賃金も支払われず過酷な労働をさせられました。満足な食事も与えられず、非人間的な処遇のもとで約七千人が死亡しました。
戦争終了から六十年近いのに、被害者は人間としての尊厳をいまだに回復できず放置されています。救済を託された司法も現実と法理の狭間(はざま)で悩んでいるように見えます。
人倫にもとる不法行為
被害者が日本政府と企業を相手に損害賠償を求める訴訟は全国十一の裁判所で争われていますが、勝ったり敗れたりを繰り返しています。福岡高裁で原告敗訴となった訴訟は、一審の福岡地裁では「時の流れを理由に責任を免れるのは正義、公平の理念に反する」と被告に賠償を命じていました。
その結論を覆した高裁判決でさえ次のように言っています。
「強制連行は国策で行われ、国と企業による共同不法行為である」
「家族と平穏に暮らしていた中国人を意に反して他国に連行した、甚だしく人倫にもとる行為である」
判決の認定によれば、被害者らは無理やり船に乗せられ、電流を流した鉄条網の囲いの中に監視付きで拘束されていました。別の訴訟では、厳冬期に寒風が吹き込む小屋でろくな衣類もなしに生活させられたことが明らかになっています。
政府は戦後、強制連行・労働の実態を調査した「外務省報告書」をまとめながら責任追及を恐れて一部を除き焼却し、国会答弁などで存在を否定し続けました。判決は「悪質な証拠隠滅」と断じました。
法律的には原告敗訴の結論は「訴訟を起こすのが遅すぎた」と指摘するだけで導き出せます。高裁裁判官が必ずしも必要ではない強制連行の違法性を詳細に論じたのは、実態を多くの国民に認識してほしい、との思いからではないでしょうか。
ボールを政治や世論に投げ返したともいえましょう。
「時の流れ」を口実に責任をとろうとしないのは、拉致問題に誠実に対応しようとしない北朝鮮と似ています。政府と関係企業は拉致問題に対する怒りに負けないくらい強く強制連行を恥じ、訴訟の解決に積極的に取り組むべきです。
国民も拉致被害者・家族と共有した怒り、悲しみや苦しみを、強制連行の被害者とも共にし、政治に働きかけていきたいものです。
ドイツではナチス統治下のドイツ企業で強制労働させられた人たちに補償するため、政府と企業が拠出して基金をつくりました。強制連行訴訟の弁護団は、これと同じような基金の設立を提案しています。
戦争処理、戦後補償をどうするかは極めて政治的色彩の濃い判断を迫られます。
しかし、国策として行われた重大な人権侵害の後始末をしないで、日本が国際的信頼を得られるわけはありません。
強制連行と拉致は、戦争中と平時の違いがあっても、どちらも同質の問題なのですから、加害と被害で対応の基準が違ったのではなおさらでしょう。
被害救済へ国民の出番
過去の清算を裁判所に押しつけて傍観し続けるのは許されません。法の柔軟な運用には限界がありますから、司法に頼るだけでは実現しない正義もあります。
間もなく参院選、憲法が目標にしている「国際社会で信頼され名誉ある地位」を占めるために、国民が政治にメッセージを送る好機です。
[6月13日??時??分更新]
引用元:中日新聞
〜コメント〜
もう一度言いますが、考えとしては否定する気はありません。が、事実としては「同種である」を否定します。
まず時代の流れにより価値観が大きく変わっています。また、それは当時の「たこ部屋」の概念(※1)が、今日の日本の非常識になるほど個人主義が広がっている事からも言えるのではないでしょうか(※2)。
そもそも強制連行なんて言葉は、当時の日本にはなかった概念です(※3)。そして、敗戦により中国(人)から被害を受けた多くの日本人も含めて、お互いに賠償請求権を放棄しています(※4)。何より騙したのは企業であり(※4)、当時の価値観から言っても日本政府は真摯に務めていた方ではないのでしょうか?(※4)
※1:『たこ部屋』−エックス橋
※1:たこべや 0 【▼蛸《部屋》】−goo辞書
※2:「たこ部屋」でグーグル検索
※3:【デスラー症候群】 vol.39
※3:いわゆる「強制」連行の起源について
※4:福岡地裁で02年4月26日言い渡された中国人強制連行福岡訴訟の判決理由の要旨
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